チームガイド

チームの歴史 - “本気”DNAで自らの可能性に挑戦し続けた足跡

1983年11月に企業内の同好会として産声をあげて以来、社会人選手権優勝8回(史上最多)、日本選手権優勝7回(史上最多)の戦績を誇るチームに成長したオービックシーガルズ。創部時から 「一流の社会人、一流のフットボール選手」 として日本一の男になることを目指し、1プレー1プレー、魂を燃やし続けてきた “本気” のDNAは、どこまでも受け継がれていく-。




 

史上初の日本選手権4連覇を達成 【オービックシーガルズ 2010~2013年】

2013年 X-CENTRAL 1位(5勝) 社会人選手権優勝 ライスボウル優勝  スコア
2013年春、2度目のドイツ遠征を敢行。デュッセルドルフパンサーと国際親善試合を行い、34対3で勝利。課題感を残しながら1週間後にパールボウル(東日本社会人選手権)の準決勝で富士通に13-31と大敗。得点は、QB菅原 俊選手からWR木下典明選手へのTDパスとLB古庄直樹主将のインターセプトリターンTDのみ。文字通り“こてんぱん”に敗れ、2010年秋から続いた国内公式戦連勝記録も37で止まる。
「俺たちはこんなものなのか」と自らを問い直し、再建を掲げて再始動。秋シーズンは初戦、第2戦とおそるおそるスタートを切ったが、第3戦のIBM戦では、QBケビン・クラフト選手を核にしたハイパーオフェンスにディフェンス陣が追いつけず、42-41と辛うじて1点差で、地元習志野市秋津サッカー場で勝利を挙げた。このとき存在感を見せたのは、本場米国仕込みのQBにも負けなかったQB龍村 学選手の剛腕だった。1stステージ中盤の危機を乗り越えたオービックは、徐々に調子を上げて、4戦目のオール三菱、5戦目のノジマ相模原と勝ち進む。豪雨の中のノジマ相模原戦は、荒コンディションの中でもディフェンス陣が集中を切らさず12-3で勝ち切って5戦全勝で2ndステージに進出を決める。2ndステージ1戦目のアサヒビール戦は、ランディフェンスに苦しみながらも要所でパスを決めて21-7で切り抜け、2年連続となった2試合目のアサヒ飲料戦は、パス攻撃がさく裂し44-17と快勝。トップランクでファイナルステージに進む。
ファイナルステージ・準決勝では、鹿島と横浜スタジアムで対戦。このゲームも安定した試合運びで21-12と点差以上の安定感を見せて、ついに4年連続の決勝、JAPAN X BOWL進出を果たす。決勝の相手は、春のパールボウル準決勝で大敗した富士通。全勝同士の対決となった。富士通はここまで絶好調。春の勢いのまま、素早いディフェンスとラン、パスどちらもスピードとパワーあふれる攻撃が衰えない。接戦をものにして勝ち上がったオービックに比べて、下馬評では富士通の圧倒的有利となっていた。先手は富士通。重苦しい雰囲気を打ち破ったのは、DLバイロン・ビーティー・ジュニア選手のQBサック。相手オフェンス選手の上を飛び越えるスーパータックルで、QBは負傷退場するほどの衝撃を受けた。その後もディフェンス陣がシーズン一番の集中力を見せ、DB砂川敬三郎選手、DLケビン・ジャクソン選手らの好プレーでオービックオフェンスにチャンスをつなぎ、3Q前半で24-0とリードを広げる。第4Qには富士通の追撃が始まるが、しのぎ切ってファイナルスコア24-16で死闘に終止符。8回目の社会人優勝を果たす。
ライスボウルは、大学王者・関西学院大学と3年連続同じ顔合わせとなった。前半はパスで得点したが、相手ディフェンスが対応してきたため、パス攻撃からラン攻撃への切り替えを敢行。OLとRBがそれを見事にやりきって34-16で快勝。これによってオービックは、日本アメリカンフットボール史上初の日本選手権4連覇を達成した(通算7度の優勝も史上最多)。
2013年のチームスローガンは「PROFESSIONAL」。「大きな意味を持った言葉に一人ひとり、そしてチーム全員が挑戦し、まだまだ道半ばであるということを痛感した」(大橋ヘッドコーチ)シーズンが幕を閉じた。
2012年 X-CENTRAL 1位(5勝) 社会人選手権優勝 ライスボウル優勝  スコア
“未踏の地を制覇する“ “皆で(CON)探求する(QUEST)”という意味を込めて「CONQUEST」をスローガンに掲げてスタートした2012年。未踏の地とは、言うまでもなく社会人として初めて日本選手権を3連覇すること。先のライスボウルで、後半に逃げ切って辛勝した余韻が選手やコーチたちの心に在り、「次は狙ってきちんと勝ちきりたい。そんな強いチームを創りたい」という決意の表れであった。
春には、国内の単独チームとしては初めて、ドイツリーグ(GFL)のクラブチームと国際交流戦を敢行。対戦相手はドレスデンモナークス。この遠征を挟んで1週間ピッチで3試合という強行スケジュールでパールボウルに挑む強化策をとった。そのことが選手の意識向上につながり、2005年以来7年ぶりにパールボウル優勝を遂げた。
夏には、コロラド大出身のバイロン・ビーティー・ジュニア選手らルーキーたちが本領を発揮し始める。ヤングツイスターズ(OL)の台頭も大きかった。前年までスタメンを務め、長らく日本代表でも活躍した宮本 士選手らの引退の穴を埋めるべく若手が急成長し、陣容が整った。Xリーグでも、アメリカのNCAA1部(大学のトップカンファレンス)所属のUCLAやオレゴン大出身のQBが合流し話題になった。
秋のリーグ戦前半の鍵は、そのUCLA出身のケビン・クラフト選手率いるハイパーパッシングオフェンスのIBM戦。ディフェンス陣の集中で試合前半を制したことが勝利へと繋がった。いい流れを持続し、最終節の富士通戦を迎えた。試合は終盤、富士通オフェンスの強烈な追い上げにあったが、インターセプトで逃げ切り、1stステージは1位通過。2ndステージも順調に勝ち上がり、ファイナルステージ・準決勝へ。相手は後半調子を上げてきたノジマ相模原。前半はノジマ相模原のランに苦しめられながらも13-3で折り返し、最終スコア24-10。無敗のまま社会人決勝へ駒を進めた。
JAPAN X BOWLの相手は、同じく無敗で勝ち上がった鹿島。鹿島は先発QBを負傷で欠いたが、2人目のQBが着実にゲインを重ねる。オービックも、シーズンが深まるにつれて本領を発揮しだした新人RB原 卓門選手が大きなゲインを重ねて譲らず、がっぷり四つで第4Qにもつれ込む。残り1分56秒で3点差に迫られるも、最後は鹿島のオンサイドキックを押さえて激闘に終止符。7度目の社会人優勝を飾った。
続くライスボウルは前年と同じ関西学院大学との対戦。こちらも試合終了までもつれる。オービック優勢で進みながら、自軍ファンブルなどで追加点を奪えない。逆に、関学のトリックプレーやスペシャルプレーが決まり、残り3分で14-15と逆転を許す。その後のオフェンスでもまさかのインターセプトを喫する。ここで残り時間は1分39秒。ディフェンス陣が踏ん張って関学大オフェンスを3アンドアウトに抑え込み、34秒を残して最後の攻撃へ。QB菅原 俊からWR木下典明、WR萩山竜馬選手に起死回生のロングパスが通り、敵陣1ヤード。残り10秒でRB古谷拓也選手が決勝の1ヤードTDランを決め、21-15でCONQUESTが完結した。
2012年シーズンは、富士通、ノジマ相模原、鹿島、関学大ら多くのチームが打倒オービックを掲げて大きく立ちはだかった。前年同様、ライバルに鍛えられての紙一重の勝利となった。日本選手権3連覇、10年を迎えた習志野での活動を評価していただき、習志野市としては3組目の市民栄誉賞をいただいたこと、2010年の秋シーズンから通算で国内36連勝を重ねたことも、最後に記しておきたい。
2011年 X-CENTRAL 1位(5勝) 社会人選手権優勝 ライスボウル優勝  スコア
大きな壁を越えてようやく手にした「日本一」の余韻も冷めやらない、3月11日。奇しくも2011年シーズンインの練習を翌日に控えたこの日の午後、激震が日本全国を襲う。被害は、本拠地茜浜のグラウンドにも及んだ。「液状化現象」。壊れた配管から水があふれ出し、波打つグラウンドの平坦な部分を探しながら走り込みをスタートできたのが、3月末日であった。
神田外語大学、千葉大学、日本大学、早稲田大学、習志野市企業局など多くの方々から練習場所をお借りして、練習の「場」は転々とした。茜浜近辺の土砂撤去や、千葉・津田沼駅前での募金活動、「Gulls for TOHOKU」を合言葉に、自分たちにできることもやった。「練習、いやアメフトをやっていてもいいのか」と自問自答する東北大学のアメフト部の皆とも会い、クリニックをさせていただいた。「自分たちができることを自分たちの場所で精一杯やろう」、「こういうときだからこそ、スポーツの意味、真価が問われる。社会や世の人たちに何ができるか考えよう」。随分いろいろなことを考えた。
メインスポンサー・オービックからのありがたい支援もあって、夏合宿の前日、私たちの前に緑鮮やかな新しい人工芝のグラウンドができあがった。一瞬、誰もが無言で見つめる。「勝つしかない」。全員が心の中で叫んでいた。チームスローガンの「WILL」=それは勝つこと=それが自分たちにできること。
2011年の戦いも順風満帆ではなかった。初戦の相模原ライズには大苦戦し、かろうじて生き残った1stステージ。2ndステージでもアサヒ飲料に試合開始早々に得点を奪われ、終盤で逆転勝ち。JAPAN X BOWLも富士通のノーハドルオフェンスに前半はリードを許して、後半に逆転。ライスボウルも、巧妙なキッキング、守備の穴を上手く突くオフェンス、しぶといディフェンスを周到に準備してきた関西学院大学に苦戦した。この試合も第4Qで一気に逆転という展開であった。
いずれにせよ、勝ちきることができた2011年シーズン。勢いに乗る相模原ライズやオービックオフェンス陣を最後まで苦しめたアサヒ飲料、パナソニックに完勝した富士通など、強豪ひしめくXリーグで連覇を果たしたことも意義深いが、3.11から始まったシーズンを、WILLを胸に勝ちきったことで、私たちは多くのことを学んだ。
2010年 X-CENTRAL 1位(5勝) 社会人選手権優勝 ライスボウル優勝  スコア
前年はリーグ最終戦でアサヒビールに逆転負けを喫し、一念発起してパナソニック電工に挑んだものの惜敗。「俺たちは同じ相手に3度も負け続けるのか」という沈滞ムードを吹き飛ばすために、春から全員でチーム改革に挑んだ。ディフェンスコーディネーターが大橋ヘッドコーチの兼任となり、オフェンスコーチにも富永 一コーチが相模原ライズより復帰したりと、コーチ陣もリフレッシュ。選手幹部を交えた戦略ミーティングの実施をはじめ、様々な意識改革にも取り組んだ。
そのプロセスの中から「選手が主役のワクワクするフットボールで勝ちきるチーム」というコンセプトが生まれた。「明日がライスボウルだったら先発ローテーション入りする選手」を選び、「チャンピオンシッププレーヤーズ」というリストにして毎回の練習で発表した。秋シーズン開幕前には、順天堂大学サッカー部の皆さんと一緒に2週間ぶっ続けで海浜幕張や津田沼駅前でのビラ配りを敢行したり、観客も主役に巻き込む“クラウドノイズ”応援を始めたり、Twitterで腹筋100万回プロジェクトに挑戦し達成するなど、様々なことを積み上げていった。
それらの結果、チーム力は秋に向けて確実に上昇し、苦戦を重ねながらも勝ち進む。中でも、1stステージの富士通戦での逆転勝ちの瞬間や、試合終了1秒前に追いつきタイブレークで勝利した準決勝の鹿島戦は、スタンド全体が震えていた。続く決勝のJAPAN X BOWLでもパナソニック電工に逆転勝ちし、実業団の強豪チーム全てを破って5度目の社会人日本一に輝く。5度目の出場となったライスボウルでは立命館大学に勝利し、5年ぶり4度目の日本一で「OUR TIME」のシーズンが完結した。

 

世代交代への挑戦 【オービックシーガルズ 2006~2009年】

2009年 X-EAST 2位(4勝1敗)  セカンドステージ2位(1勝1敗)  スコア
どうしてもパナソニック電工に勝ちたい。チーム全員が同じ思いで迎えた2009年。春先からGM体制を復活させ、現場のコーチを、GMを始めとするフロントスタッフがサポートするという強化体制を敷いた。クラブチームゆえ例年スロースタートになりがちなファンダメンタルやチームづくりにも例年より早めに取り組んだ。さらに、今までオフェンス、ディフェンスの指揮を執っていた大村和輝(オフェンス)、松場俊夫(ディフェンス)両コーディネーターから、オフェンスは新生剛士コーチ、ディフェンスは時本昌樹コーチという新任スタッフに移行し、チームそのものはリフレッシュしてスタートし、春先のパールボウルでは決勝に駒を進めるなど、順調な仕上がりを見せた。
秋のリーグ戦は、クラブチームとなって初めて、本拠地の習志野に近い千葉マリンスタジアムで開幕戦を迎え、千葉の皆さんの前で日本ユニシスに勝つことができた。その後、オール東京ガス、富士ゼロックスと白星を重ねたが、4戦目のオール三菱で思わぬ苦戦を強いられ、10-6で辛勝。特にオフェンスが波に乗れず、その修正もままならないまま、リーグ最終戦のアサヒビール戦で逆転負けを喫す。4勝1敗でリーグ2位となってしまう。2ndステージには背水の陣で挑むことになり、1ヵ月間、夜昼を問わずチームの再建に取り組んだ結果、IBMに勝利し、パナソニック電工戦には非常に良い状態で臨むことができた。試合は1Qに先取点を奪い、前半はオービック優位で試合を運ぶが、後半になって徐々に主導権を奪われ、結果は、3年連続でパナソニック電工に敗れる。獲得ヤードでは上回っていただけに悔しさも増す。
パナソニック電工は、その後ファイナルステージに進むが、鹿島に敗退。パナソニック電工、富士通を破った鹿島が社会人の王者となり、ライスボウルも制した。
2008年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 準々決勝敗退  スコア
チームが25周年を迎えた2008年は、前年の松下電工戦での2つの悔しさからスタートした。1つめの悔しさは、土壇場で追いつきながら、タイブレークで力尽きてしまったことへの悔しさ。2つめは、近年まれにみる松下電工との接戦、熱戦を演じたスタジアムにもっともっと多くのお客様に足を運んでいただきたかったこと。
1つめに関しては、春先から下半身トレーニングを見直し、フィジカルでも互角に戦えるようなチームづくりに励んだ。2つめは、チーム一丸となって取り組んだ「1万人プロジェクト」として、リーグ戦の初戦の相手であるIBMと一緒に、GW明けから取り組んだ。1万人プロジェクトは、さまざまな形で実を結び、1万人には及ばなかったが、リーグ戦では久々の6,000人を超すお客様に足を運んでいただき、同時に、「チームを強くすること」「お客様に来ていただくこと」-2つの目標に挑む有意義さに気づくことができた。
リーグ戦初戦を制し、幸先のいいスタートをきったが、最終戦の鹿島との試合を13-17で落とす。タッチダウンパスを取り消されたという疑惑の判定もあったが、審判の誤審は、悲しいながら100%なくなることはない。
2位通過となった私たちは気を取り直して、Final6のパナソニック電工戦に挑んだ。昨年の雪辱をという気持ちが試合開始からフィールドで爆発し、先取点をもぎとる。前半を14-7で折り返すが、後半になってパナソニック電工がじりじり攻め返し、一方でオービックはオフェンスが好機を逸し、ついに逆転を許す。その後最後までオフェンスは粘ったが、ファイナルスコア14-20。2007年に続いて2年連続で敗れた。
勝ったパナソニック電工は、その後の試合も制し、2年連続で社会人王者となった。願わくば、社会人代表としてライスボウルも制してほしかったが、立命館大学に敗れるという残念な幕切れ。突き抜けたチームを目指してきたものの、チーム強化の仕組み自体を見直す2008年シーズンとなった。
2007年 X-EAST 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
2007年は、7月に第3回ワールドカップが川崎市で開催されたメモリアルイヤーとなった。日本代表には、大橋 誠ヘッドコーチ、松場俊夫守備コーチ、大村和輝攻撃コーチ、吉永孝徳 トレーナー、佐々木陽一マネジャーを始め、チームとしては最多10人の選手が選抜され、 1回戦のフランス戦、2回戦のスウェーデン戦、そして決勝のアメリカ戦と、獅子奮迅の 活躍を見せた。決勝は、先制したものの終了間際に追いつかれ、タイブレークで敗れる という惜敗であったが、ひたむきなプレーをみせた日本チームに、等々力陸上競技場1万人の 観衆の拍手が鳴り止まなかった。
そして2ヵ月後の9月からのリーグ戦、4度目の日本一奪取に向けた闘いが始まった。 初戦はルネサスに快勝したが、続く富士通戦に完敗を喫し、チームに緊張感が漲る。しかし選手たちが奮起し、第3戦から1試合ごとに成長、 本来の輝きを取り戻していった。ファイナル6(決勝トーナメント)進出は、アサヒビール、富士通、オービックの 三つ巴にもつれ込み、得失点差での勝負となった。オービックは最終戦で、強豪アサヒビールに 11点差以上で勝つしかないという状況の中、歴史的な大勝(55-6)を飾り、まさに“グレートカムバックⅡ”の第一歩となった。
準々決勝、鹿島との闘いもすごかった。後半でリードを許すが、 第4Qに追いつき、タイブレークで破るという劇的勝利。この試合のMVPは、同点のリターンタッチダウン を演じた清水 謙選手であった。続く準決勝は、長居球技場で松下電工と対戦。 第1Qこそ互角であったが、徐々に松下電工の厚いディフェンスに封じられ、攻撃もラン&パスに ゲインを許して、得点差が広がる。第4Qで23-7となったときには、スタンドも静まり返った。 しかし、そこからオービックのパス攻撃が息を吹き返し、2つのタッチダウンのうえ連続し て2点コンバージョンを成功させ、23-23の同点に追いつく。鹿島戦の再来か?! しかし、 タイブレークで力尽き、最後はインターセプトされて2007年のシーズンは終了した。
リーグ戦最終戦、鹿島戦、松下電工戦と、チームが一丸となって脅威の集中力を 発揮した、“すごい”シーズンであった。しかし、集中力だけでは勝てない。 「どこが勝ってもおかしくない状況から頭一つ抜け出すために、何をやっていくのか」、 次の10年に向けての闘いがスタートした。
2006年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
前年度の余韻を残してスタート。前年に続いて世代交代が進む中、「MAX」をスローガンにライスボウル2連覇に挑む。
一方で、ライバルチームも急成長。春のパールボウルでは、15分クォーター制が導入された準決勝で、オンワードスカイラークスと大接戦の末、終了間際に逆転されて惜敗。パールボウルを制したのは、若手が成長した富士通。圧倒的なスピードと運動量を前に、各チームに緊張感が漲った。7月には習志野グラウンドに最新の人工芝が敷設され、練習も一気に加速度を増した。
秋のリーグ戦は、立ち上がりから順調な試合を続け、4試合目の10月16日、富士通に大勝。これによって、10回目のファイナル6進出を決める。ところが、その後のアサヒビール戦。初対戦で敗退して以来、引き分け2つをはさんで負けたことがなかった同チームに思わぬ苦戦、僅差で敗れた。
ファイナル6準々決勝では、新進気鋭の内外電機を記録的な大差で退け、準決勝でオンワードスカイラークスと対戦。前半リードしたが、後半追撃され、逆転負けを喫してシーズンを終了。ジュニアシーガルズは、2年連続で日本選手権に出場したが、惜しくも敗れた。

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オービックシーガルズ誕生。3度目の日本一 【オービックシーガルズ 2003~2005年】

2005年 X-EAST 1位(5勝0敗)  社会人選手権優勝  ライスボウル優勝  スコア
「オービックシーガルズ」として3年目、正に真価・進化が問われるシーズン。 春先から攻撃の司令塔QBを龍村 学選手に任せて新生オービックがスタート。パールボウルトーナメントは辛勝が続き、苦戦を強いられたが、試合を重ねるごとにチームが成長。決勝ではアサヒビールを27-2で破る。
秋のリーグ戦もそのままチーム力は上昇し、前年度に苦杯をなめたオンワードスカイラークスを21-0で完封。堂々の1位シードでファイナル6に進む。準決勝は横浜スタジアムでアサヒビールを13-7で破り、ついに3年ぶりのJAPAN X BOWLへ。昨年よりさらにパワーアップした松下電工と対戦。前半戦で0-16と突き放されるが、後半、歴史に残る逆転劇を演じ、ファイナルスコアは25-16。社会人で4度目の王座を奪取した。
続くライスボウルは、甲子園ボウルで立命館大学を破った法政大学と対戦。攻守が爆発し、47-17で3度目の日本一を達成。パーフェクトシーズンが完了した。
チアリーダーがチアオブザイヤーに輝いたこと、ジュニアシーガルズも日本一となったことも含めると、5冠の2005年となった。また、龍村選手を始め、ディフェンスの中井勇介選手、紀平充則選手、XリーグMVPとなったケビン・ジャクソン選手など、新勢力が台頭したシーズンでもあった。
2004年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
1月3日、ライスボウルで立命館大学がオンワードスカイラークスを撃破し2連覇を達成。社会人チーム全体としても雪辱に燃えるシーズンとなった。
春は久々の遠征試合を実施。立命館大学琵琶湖草津キャンパスで交流戦を行った。
秋の本番は、リーグ戦初戦で追いすがる富士通を突き放して全勝を続けたが、最終戦でオンワードスカイラークスに逆転負け。ファイナル6はディビジョン2位ランクでのスタートとなった。
準々決勝の相手は鹿島。苦手意識もあったが、守備陣の活躍で10-3と辛勝。準決勝の長居球技場で待ち構えていたのは、強力守備を誇る松下電工。ここでも守備陣が大奮闘するが、オフェンスが押さえ込まれ、7-10とJAPAN X BOWLまであと一歩でシーズンが終了した。
JAPAN X BOWLを制した松下電工がライスボウルで立命館大学に快勝したことも付け加えておきたい。
2003年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 準々決勝敗退  スコア
メインスポンサーが株式会社オービックに決まり、チーム名もオービックシーガルズとなった。
春のパールボウルトーナメントは、決勝に進出するも、富士通フロンティアーズに13-14で惜敗。夏には第2回ワールドカップがドイツで開催された。チームからは7人の選手に加えて、コーチ、スタッフ3人が選抜され、オールジャパンの2連覇に貢献した。
秋のリーグ戦は、4勝1敗でディビジョン2位。6年連続7度目のファイナル6出場を果たすも、初戦のアサヒ飲料に9-16で敗退。
ジュニアシーガルズは、関東選手権・低学年の部で2連覇を果たす。

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クラブチームとして独立 【シーガルズ 2002年】

2002年 X-CENTRAL 1位(5勝0敗)  社会人選手権優勝  ライスボウル準優勝  スコア
若手QBが着実に成長し、春のパールボウルトーナメント決勝に駒を進める。鹿島との対戦は、試合終了間際に追いつかれてタイブレークとなり、1点差で敗れる。
6月30日をもって、リクルートはメインスポンサーを降板。7月1日から新体制がスタートした。
ジュニアシーガルズは、春の関東オープンで優勝。
秋のリーグ戦は全勝でディビジョン優勝。シード権を得て、ファイナル6準決勝で3連覇を狙うアサヒ飲料と対戦。30-0で完封勝利。東京スーパーボウルでは、富士通を14-7で下し、4年ぶり3度目の社会人日本一に。

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第1期黄金時代 【リクルートシーガルズ 1996~2001年】

2001年 X-CENTRAL 1位(5勝0敗)  Final6 ベスト4  スコア
姉妹チームに女性アメリカンフットボールチーム 「レディコング」 が加わる。
チームはリーグ戦を辛勝で優勝、3年連続でファイナル6に進出。準々決勝で富士通を破り、準決勝で松下電工と対戦。激戦の末、タイブレークで敗れ、決勝進出ならず。
2000年 X-CENTRAL 1位(5勝0敗)  Final6 ベスト4  スコア
大橋 誠氏がヘッドコーチ就任。本格的なクラブチームを目指し、「総合フットボールクラブ構想」を打ち立てる。
姉妹チームに 「横浜シーガル」 を迎える。NPOスポーツ・コミュニティ・アンドインテリジェンス機構 (SCIX 理事長 平尾誠二氏) に参加。初のトライアウト(選手選考会)を実施し、多数の新入団選手を獲得する。小中学生フラッグフットボールチーム 「ジュニアシーガルズ」 が活動開始。
記念大会となった第25回パールボウルトーナメント決勝で、宿敵・鹿島を破り、同大会2度目の優勝を果たす。
1999年 X-EAST 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
4月中旬にクラブチーム化を発表。社外選手を登録する。
6月~7月、イタリア・パレルモで開催された第1回ワールドカップのオールジャパンに9人の選手、大橋 誠コーチ、吉永孝徳トレーナーを派遣し、日本の優勝に貢献する。
レディースフラッグフットボールチーム 「シードッグス」 が活動開始。NGO団体リボンプロジェクトジャパンより感謝状を授与される。
この年、初の連覇を狙ったが、リーグ戦初戦でオンワードに敗れ、プレーオフに駒を進めるも波に乗れず、準決勝で鹿島に敗れてシーズンを終える。
1998年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  社会人選手権優勝  ライスボウル優勝  スコア
社会人初の国際試合となった 「ジャパンユーロボウル」 が行われ、オールジャパンに5名の選手を派遣。フィンランドを相手に大勝した。
この年から、フットボールマガジン共催の「Learn a System」を開催。
リーグ戦は、鹿島に敗れるもプレーオフを勝ち上がり、東京スーパーボウルでアサヒビールを破り、2度目のXリーグ制覇。ライスボウルでも立命館大学を破り、2度目の日本一に。
1997年 X-CENTRAL 3位(3勝2敗)  スコア
春のパールボウルトーナメントで初優勝を果たし、連覇に拍車をかけるが、リーグ戦で2敗を喫し、決勝トーナメントに進めず。
1996年 X-EAST 1位(4勝1敗)   社会人選手権優勝  ライスボウル優勝  スコア
池之上貴裕選手がワールドリーグ(NFLヨーロッパ)へ参戦、日本人初のプロフットボール選手となった。
社会人リーグはXリーグと名称を変える。チームはリーグ戦で優勝、東京スーパーボウルにも勝利し、初代Xリーグチャンピオンになる。さらにライスボウルで京都大学を破り、初の日本一を達成する。

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成長期 【リクルートシーガルズ 1990~1995年】

1995年 東日本社会人1部A 1位(5勝0敗)  Final‐EAST勝利  社会人選手権準優勝  スコア
東日本社会人1部リーグで念願の初優勝を果たす。東京スーパーボウルでは松下電工に敗れ、社会人選手権準優勝に終わる。
しかし、リーグ戦でなかなか優勝できなかった時期を抜け、 「日本一がすべてだ」 と選手全員が思うようになる。この年から毎年チームスローガンを掲げるようになり、ミーティングルームに貼り出したりTシャツにするなど、チームに浸透させた。グラウンドのトレーニングルームも拡張された。
1994年 東日本社会人1部A 2位(4勝1敗)  スコア
スカウティング専属スタッフを設置。秋には専用グラウンドが天然芝になる。
リーグ戦では2位と躍進。前年に続いて鹿島との接戦で敗れ、優勝ならず。“涙の川崎球場” としてチーム史に語り継がれる。
フットボールマガジンと共催のフットボールクリニックとして 「Learn a Tech」 を初開催。大学生向けにフットボールのテクニックと心を伝えていくことを開始する。
1993年 東日本社会人1部B 3位(3勝2敗)  スコア
監督であった大社 充氏(京都大学を初の日本一に導いたQB)にかわってデイビッド・スタント氏がヘッドコーチに就任し、コーチング体制が激変する。前年に引き続き、後の主力選手となる大量の新人(池之上貴裕、遠藤紀彦、小山朋行など)が加入。オフェンスコーディネーターにマイケル・レナード氏を招聘。トレーナーにはNATA取得の吉永孝徳氏を迎える。
1992年 東日本社会人1部A 2位(3勝1敗1分)  スコア
後の主力選手となる大量の新人(松本義幸、中野康隆、安部奈知など)が加入。リーグ戦では、強豪のレナウンを初めて破り2位と躍進するが、初優勝がかかった最終戦では、得失点差を意識しすぎて新進の鹿島に敗れる。
1991年 東日本社会人1部A 5位(1勝3敗1分)  スコア
1部リーグ2年目。強豪・アサヒビールとの試合では、試合終了1秒前にQB柳 秀雄選手からTE鈴木 聡選手への劇的なタッチダウンパスが決まり、その後のトライ・フォー・ポイントも決まって奇跡的な同点劇を演じる。その後、アサヒビールには、2006年のリーグ戦まで引き分けをはさんで負けることがなかったが、好敵手として激闘の歴史が、ここに始まった。
1990年 東日本社会人1部B 5位(1勝3敗1分)  スコア
1部リーグデビュー。当初、助っ人外人選手として予定されていたデイビッド・スタント氏をコーチとして迎える。コーチ陣と選手の代表がNFLシアトル・シーホークスのサマーキャンプに参加。

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協会に加盟 【リクルートシーガルズ 1988~1989年】

1989年 実業団カンファレンス2部B 2位(3勝1敗)  一部昇格戦 勝利  スコア
千葉市美浜区にリクルート社のグラウンドが完成。ヘッドコーチに大社 充氏が就任。
社会人協会加盟2年目にして、実業団カンファレンス2部Bブロック準優勝。優勝は逃すも、1部リーグのチーム数増に伴い1部昇格決定戦が行われ、ハスキーズと対戦。勝利して、念願の1部リーグ入りを果たす。
1988年 実業団カンファレンス2部B 1位(5勝0敗)  2部BCブロック決勝戦 勝利  スコア
1月の取締役会で企業スポーツとしてアメリカンフットボールチームを創部することが決定された。取締役である田畑千秋氏、神山陽子氏が顧問に就任。ヘッドコーチには中田英一氏が就任。当面の目標を 「2年後、1部リーグ入り」 とし、日本社会人アメリカンフットボール協会に加盟。 「一流の社会人であり、一流のフットボーラーを目指す」 ことをチーム理念とし、本格的に実業団スポーツとして活動を開始する。
実業団カンファレンス2部Bブロック優勝。BCブロック決勝戦で清水建設に勝利したが、入れ替え戦はなかった。
まだ専用グラウンドはなく、練習ごとに各地を転々としていた。

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草創期 【リクルートシーガルズ 1983~1987年】

1987年  パレスサイドリーグ 優勝  
パレスサイドリーグ決勝で電通を破り、初優勝を果たす。次の目標を 「実業団カンファレンス加盟」 とする。
稲葉泰成氏、並河 研氏、三原 徹氏が社内に企業スポーツの重要性を提言し、会社の理解とバックアップを得るために働きかける。
1986年 パレスサイドリーグ 準優勝  
決勝で三菱電機に敗れる。
1985年 パレスサイドリーグ 準優勝
決勝で電通に敗れる。
1984年 パレスサイドリーグ 0勝  
リクルートの全社スポーツ大会で初の試合 (明治大学の同好会を招待) を行い、社内にチームを初披露。
秋、実業団リーグ加盟のための登竜門的存在であった 「パレスサイドリーグ」 に加盟。パレスサイドリーグの雄、電通打倒が当時の夢であった。
1983年 公式戦参加せず  
リクルートの社員(中谷秀之氏、稲葉泰成氏、菅野 徳氏ら)が中心となり、社内のアメリカンフットボール経験者数名に社外選手を含めた10人程度で、同好会結成に動き出す。しかし、試合はできず、基礎トレーニング中心の練習だけだった。

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略年表

戦績
歩み
ヘッドコーチ
主将
32 2014 アメリカ遠征 大橋 誠 LB
古庄直樹
31 2013 日本一★7 習志野市民栄誉賞受賞。パールボウル準決勝で富士通に敗れ国内公式戦37連勝でストップ。2度目のドイツ遠征。習志野市で初の公式試合。秋は全勝、関学大を下して史上最多4年連続、7度目の日本一。一般社団法人オービックシーガルズ習志野スポーツクラブ設立
30 2012 日本一★6 ドイツへチーム初の海外遠征。春から全勝、関学大を下して3年連続6度目の日本一。国内公式戦36連勝
29 2011 日本一★5 3.11東日本大震災でグラウンドが被災。春から全勝、関学大を下して2年連続、史上最多5度目の日本一
28 2010 日本一★4 春はパールボウル(決勝)で富士通に敗れるも、秋は全勝。立命館大を下して5年ぶり4度目の日本一
27 2009 Div.2位 独立後初めて千葉で公式試合。3年連続でパナソニック電工に敗れる(セカンドステージ)
26 2008 Div.2位 パナソニック電工に2年連続で敗れる(準々決勝)
25 2007 ベスト4 準決勝で松下電工に敗れる
24 2006 ベスト4 準決勝でオンワードスカイラークスに敗れる DL
庄子達郎
23 2005 日本一★3 春から全勝で初のパーフェクトシーズン達成。法政大を下して7年ぶり3度目の日本一
22 2004 ベスト4 準決勝で松下電工に敗れる
21 2003 Div.2位 株式会社オービックがメインスポンサーとなり、「オービックシーガルズ」誕生。活動拠点を習志野市に定める LB
遠藤紀彦
20 2002 社会人
優勝
クラブチームとして独立。4年ぶりのライスボウル出場なるも立命館大に敗退
19 2001 ベスト4 準決勝で松下電工に敗れる
18 2000 ベスト4 トライアウト初開催。ジュニアシーガルズ誕生 DL
木下雅英
17 1999 ベスト4 クラブチームとなり、社外選手を登録 デイビッド・
スタント
DB
仲 益次
16 1998 日本一★2 立命館大を下して2年ぶり2度目の日本一 LB
遠藤紀彦
15 1997 Div.3位 パールボウル初優勝
14 1996 日本一★1 Xリーグ発足。初代チャンピオンとなる。ライスボウルに初出場し、京都大を下して初の日本一
13 1995 社会人
準優勝
東日本で初優勝し、社会人選手権に初出場(準優勝)。チームスローガン策定元年 DL/OL
池之上貴裕
12 1994 ブロック
2位
大学生向けクリニック「Learn a Tech」(のちの鴎道場)を初開催
11 1993 ブロック
3位
オフェンスコーディネーターにマイケル・レナード氏、ヘッドトレーナーに吉永孝徳氏を迎える DB
鈴木 仁
10 1992 ブロック
2位
前年までのブロック5位から2位へ躍進 大社 充
9
1991 ブロック
5位
強豪アサヒビールに善戦するも引き分け。ブロック5位で入れ替え戦を回避 TE
鈴木 聡
8
1990 ブロック
5位
1部リーグデビュー。デイビッド・スタント氏をコーチに招聘('93年からヘッドコーチ)
7
1989 2部ブロック2位 1部リーグのチーム数増に伴う昇格決定戦に勝利 OL
並河 研
6
1988 2部ブロック1位 日本社会人アメリカンフットボール協会に加盟 し、2部リーグデビュー 中田英一
5
1987
パレスサイドリーグ(皇居周辺にある企業チームの同好会リーグ)初優勝 稲葉泰成
4
1986
パレスサイドリーグ準優勝 OL
中谷英喜
3
1985
パレスサイドリーグ準優勝
2
1984
パレスサイドリーグに加盟 OL
稲葉泰成
1
1983
11月、企業内同好会として創部

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