チームガイド

チームの歴史 - “本気”DNAで自らの可能性に挑戦し続けた足跡

1983年11月に企業内の同好会として産声をあげて以来、パールボウル優勝4回、社会人選手権優勝7回(史上最多)、日本選手権優勝6回(史上最多)の戦績を誇るチームに成長したオービックシーガルズ。創部時から 「一流の社会人、一流のフットボール選手」 として日本一の男になることを目指して、1プレー1プレー、魂を燃やし続けてきた “本気” のDNAは、どこまでも受け継がれていく-。


  • 【略年表】(年=シーズン)
  •    1983年 11月、株式会社リクルートの同好会として創部
  •    1988年 日本社会人アメリカンフットボール協会に加盟
  •    1990年 社会人1部リーグデビュー
  •    1995年 東日本で初優勝。社会人選手権に初出場し準優勝
  • 1996年 (Xリーグ発足) Xリーグ初代チャンピオン。ライスボウル初出場。京都大を破り、初の日本一
  • 1998年 ライスボウルで立命館大を破り、2度目の日本一
  •    2002年 クラブチームとして独立。3度目のライスボウル出場を果たすも、立命館大に敗退
  •    2003年 株式会社オービックがメインスポンサーとなり、「オービックシーガルズ」誕生。
           活動拠点を千葉県習志野市に定める
  • 2005年 春のパールボウルから全勝でパーフェクトシーズンを達成。7年ぶり3度目の日本一
  •    2009年 独立後初めて地元千葉で公式戦を開催(Xリーグ開幕戦/QVCマリンフィールド)
  • 2010年 春はパールボウルで富士通に敗れるも、秋は全勝。5年ぶり、社会人最多4度目の日本一
  • 2011年 春の交流戦(パールボウルは開催中止)から全勝で2年連続、史上最多5度目の日本一
  • 2012年 チーム初の海外遠征試合(ドイツ)。 春から全勝でパーフェクトシーズン達成、6度目の日本一
           日本大学と並ぶ3連覇達成。習志野市民栄誉賞受賞
  •    2013年 2度目のドイツ遠征試合。(創部30周年、オービックシーガルズ10周年、習志野市本拠10周年)


大きな壁を乗り越えて、3連覇達成  【 オービックシーガルズ 2010~2012年 】

2012年 X-CENTRAL 1位(5勝) 社会人選手権優勝 ライスボウル優勝  スコア
”未踏の地を制覇する“ “皆で(CON)探求する(QUEST)”という意味を込めて「CONQUEST」をスローガンに掲げてスタートした2012年。未踏の地とは、言うまでもなく社会人として初めて日本選手権を3連覇すること。先のライスボウルで、後半に逃げ切って辛勝した余韻が選手やコーチたちの心に在り、「次は狙ってきちんと勝ちきりたい。そんな強いチームを創りたい」という決意の表れであった。
春には、国内の単独チームとしては初めて、ドイツ(GFL)のクラブチームと国際交流戦を敢行。試合相手はドレスデン モナークス。この遠征を挟んで1週間ピッチで3試合という強行スケジュールでパールボウルに挑む強化策をとった。そのことが選手の意識向上につながり、2005年以来7年ぶりにパールボウル優勝を遂げた。
夏には、コロラド大出身のバイロン・ビーティー・ジュニア選手を始め、ルーキーたちが本領を発揮し始める。ヤングツイスターズ(OL)の台頭も大きかった。前年までスタメンを務め、長らく日本代表でも活躍した宮本 士選手らの引退の穴を埋めるべく若手が急成長し、陣容が整った。Xリーグでも、アメリカのNCAA1部(大学のトップカンファレンス)所属のUCLAやオレゴン大出身のQBが合流し話題になった。
秋のリーグ戦前半の鍵は、そのUCLA出身のケビン・クラフト選手率いるハイパーパッシングオフェンスのIBM戦。ディフェンス陣の集中で試合前半を制したことが勝利へと繋がった。いい流れを持続し、最終節の富士通戦、等々力陸上競技場に乗り込んだ。試合は終盤、富士通オフェンスの強烈な追い上げにあったが、インターセプトで逃げ切り、1stステージは1位通過。2ndステージも順調に勝ち上がり、ファイナルステージ・準決勝へ。相手は後半調子を上げてきたノジマ相模原ライズ。前半はノジマ相模原のランに苦しめられながらも13-3で折り返し、最終スコア24-10で社会人決勝へ。
JAPAN X BOWLの相手は、オービックと同じく無敗で勝ち上がった鹿島ディアーズ。鹿島は、先発QBを負傷で欠いたが、2人目のQBが着実にゲインを重ねる。オービックも、シーズンが深まるにつれて本領を発揮しだした新人RB原 卓門選手が大きなゲインを重ねて譲らず、がっぷり4つで第4Qにもつれこむ。残り1分56秒で3点差に迫られるも、最後は鹿島のオンサイドキックを押さえて、激闘に終止符。7度目の社会人優勝を飾った。
続くライスボウル(日本選手権)は、前年と同じ関西学院大学との対戦。こちらも試合終了までもつれる。オービック優勢で進みながら、自軍ファンブルなどで追加点を奪えない。逆に、関学のトリックプレーやスペシャルプレーが決まり、残り3分で14-15と逆転を許す。その後のオフェンスでもまさかのインターセプトを喫する。ここで残り時間は1分39秒。ディフェンス陣が踏ん張って関学大オフェンスを3アンドアウトに抑え込み、34秒を残して最後の攻撃へ。QB菅原 俊からWR木下典明、WR萩山竜馬選手に起死回生のロングパスが通り、敵陣1ヤード。残り10秒でRB古谷拓也選手が決勝の1ヤードTDランを決め、オービック21-15関学大でCONQUESTが完結した。
2012年シーズンは、富士通、ノジマ相模原、鹿島、関学大ら多くのチームが打倒オービックを掲げて大きく立ちはだかった。前年同様、ライバルに鍛えられての紙一重の勝利となった。日本選手権3連覇、10年を迎えた習志野での活動を評価していただき、習志野市としては3組目の市民栄誉賞をいただいたこと、2010年の秋シーズンから通算で国内36連勝を重ねたことも、最後に記しておきたい。
2011年 X-CENTRAL 1位(5勝) 社会人選手権優勝 ライスボウル優勝  スコア
前年に、大きな壁を越えてようやく手にした「日本一」、その余韻も冷めやらない、3月11日。奇しくも2011年シーズンインの練習を翌日に控えたこの日の午後、激震が日本全国を襲う。被害は、本拠地茜浜のグラウンドにも及んだ。「液状化現象」。壊れた配管から水があふれ出し、波打つグラウンドの平坦な部分を探しながら走り込みをスタートできたのが、3月末日であった。
神田外語大学、千葉大学、日本大学、早稲田大学、習志野市企業局など多くの方々から練習場所をお借りして、練習の「場」は、転々とした。茜浜近辺の土砂撤去や、千葉・津田沼駅前での募金活動、「Gulls for TOHOKU」を合言葉に、自分たちにできることもやった。「練習、いやアメフトをやっていてもいいのか……」と自問自答する東北大学のアメフト部の皆とも会って、クリニックをさせていただいた。「自分たちができることを自分たちの場所で精一杯、やろう」。「こういうときだからこそ、スポーツの意味、真価が問われている。社会や世の人たちに何ができるか考えよう」。随分いろいろなことを考えた。
メインスポンサーオービックからのありがたい支援もあって、夏合宿の前日、私たちの前に、緑鮮やかな新しい人工芝のグラウンドができあがった。一瞬、誰もが無言で見つめる。「勝つしかない…」。全員が心の中で叫んでいた。WILL=それは勝つこと=それは自分たちができること。
2011年の戦いも順風満帆ではなかった。初戦の相模原ライズには大苦戦し、かろうじて生き残った1stステージ。2ndステージでもアサヒ飲料に試合開始早々に得点を奪われ、終盤で逆伝勝ち。JAPAN X BOWLも富士通フロンティアーズのノーハドルオフェンスに、前半はリードを許して後半に逆転。日本一を決めるライスボウルも、巧妙なキッキング、守備の穴を上手くつくオフェンス、しぶといディフェンスを周到に準備してきた関西学院大学に苦戦した。この試合も第4Qでいっきに逆転という展開であった。
いずれにせよ、勝ちきることができた2011年シーズン。勢いに乗る相模原ライズやオービックオフェンス陣を最後まで苦しめたアサヒ飲料チャレンジャーズ、パナソニックインパルスに完勝した富士通フロンティアーズなどの強豪ひしめくXリーグで連覇を果たしたことも意義深いが、3.11から始まったシーズンを、WILLを胸に勝ちきったことで、私たちは多くのことを学んだ。
2010年 X-CENTRAL 1位(5勝) 社会人選手権優勝 ライスボウル優勝  スコア
前年はリーグ最終戦でアサヒビールに逆転負け、一念発起してパナソニック電工に挑んだものの惜敗。俺たちは同じ相手に3度も負け続けるのか……という沈滞ムードを吹き飛ばすために、春から全員でチーム改革に挑んだ。ディフェンスコーディネーターが大橋ヘッドコーチの兼任となり、オフェンスコーチにも富永 一コーチが相模原ライズより復帰したりと、コーチ陣もリフレッシュ。選手幹部を交えた戦略ミーティングの実施をはじめ様々な意識改革にも取り組んだ。
そのプロセスの中から「選手が主役のワクワクするフットボールで勝ちきるチーム」というコンセプトが生まれた。“明日がライスボウルだったら、先発ローテーション入りする選手”を選び、「チャンピオンシッププレイヤーズ」というリストにして毎回の練習で発表した。秋シーズン開幕前には、順天堂大学サッカー部の皆さんと一緒に2週間ぶっ続けで海浜幕張や津田沼駅前でのビラ配りを敢行したり、観客も主役に巻き込む“クラウドノイズ”応援を始めたり、Twitterで腹筋100万回プロジェクトに挑戦し達成するなど、様々なことを積み上げていった。
それらの結果、チーム力は秋に向けて確実に上昇し、苦戦を重ねながらも勝ち進む。中でも、1stステージの富士通戦での逆転勝ちの瞬間や、試合終了1秒前に追いつきタイブレークで勝利した準決勝の鹿島戦は、スタンド全体が震えていた。
そして、続く決勝のJXBでもパナソニック電工に逆転勝ちし、実業団の強豪チーム全てを破って5度目の社会人日本一に輝く。5度目の出場となった日本選手権ライスボウルでは、立命館大学に勝利し、5年ぶり4度目の日本一で「OUR TIME」のシーズンが完結した。

 

世代交代への挑戦  【 オービックシーガルズ 2006~2009年 】

2009年 X-EAST 2位(4勝1敗)  セカンドステージ2位(1勝1敗)  スコア
どうしてもパナソニック電工に勝ちたい-チーム全員が同じ思いで迎えた2009年。春先からGM体制を復活させ、現場のコーチを、GMを始めとするフロントスタッフがサポートするという強化体制を敷いた。クラブチームゆえ例年スロースタートになりがちなファンダメンタルやチームづくりにも、例年より早めに取り組んだ。さらに、今までオフェンス、ディフェンスの指揮を執っていた大村和輝(オフェンス)、松場俊夫(ディフェンス)両コーディネーターから、オフェンスは新生剛士コーチ、ディフェンスは時本昌樹コーチという新任スタッフに移行し、チームそのものはリフレッシュしてスタートし、春先のパールボウルでは決勝に駒を進めるなど、順調な仕上がりを見せた。
秋のリーグ戦は、クラブチームとなって初めて、本拠地の習志野に近い千葉マリンスタジアムで開幕戦を迎え、千葉の皆さんの前で日本ユニシスに勝つことができた。その後、オール東京ガス、富士ゼロックスと白星を重ねたが、4戦目のオール三菱ライオンズで思わぬ苦戦を強いられ、10-6で辛勝。特にオフェンスが波に乗れず、その修正もままならないまま、リーグ最終戦のアサヒビール戦で逆転負けを喫す。4勝1敗でリーグ2位となってしまう。2ndステージには背水の陣で挑むことになり、1ヵ月間、夜昼を問わずチームの再建に取り組んだ結果、IBM戦に勝利し、パナソニック電工戦には非常に良い状態で臨むことができた。試合は1Qに先取点を奪い、前半はオービック優位で試合を運ぶが、後半になって徐々に主導権を奪われ、結果は、3年連続でパナソニック電工に敗れる。獲得ヤードでは上回っていただけに悔しさも増す。
パナソニック電工は、その後ファイナルステージに進むが、鹿島ディアーズに敗退。パナソニック電工、富士通を破った鹿島が社会人の王者となり、ライスボウルも制した。
2008年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 準々決勝敗退  スコア
チームが25周年を迎えた2008年は、前年の松下電工戦での2つの悔しさからスタートした。1つめの悔しさは、土壇場で追いつきながら、タイブレークで力尽きてしまったことへの悔しさ。2つめは、近年まれにみる松下電工との接戦、熱戦を演じたスタジアムにもっともっと多くのお客様に足を運んでいただきたかったこと。
1つめに関しては、春先から下半身トレーニングを見直し、フィジカルでも互角に戦えるようなチームづくりに励んだ。2つめは、チーム一丸となって取り組んだ「1万人プロジェクト」として、リーグ戦の初戦の相手であるIBMと一緒に、GW明けから取り組んだ。1万人プロジェクトは、さまざまな形で実を結び、1万人には及ばなかったが、リーグ戦では久々の6,000人を超すお客様に足を運んでいただき、同時に、「チームを強くすること」「お客様に来ていただくこと」-2つの目標に挑む有意義さに気づくことができた。
リーグ戦初戦を制し、幸先のいいスタートをきったが、最終戦の鹿島ディアーズとの試合を13-17で落とす。 タッチダウンパスを取り消されたという疑惑の判定もあったが、審判の誤審は、悲しいながら100%なくなることはない。2位通過となった私たちは気を取り直して、Final6のパナソニック電工戦(松下電工が改名)に挑んだ。昨年の雪辱をという気持ちが試合開始からフィールドで爆発し、先取点をもぎとる。前半を14-7で折り返すが、後半になってパナソニック電工がじりじり攻め返し、一方でオービックはオフェンスが好機を逸し、ついに逆転を許す。その後最後までオフェンスは粘ったが、ファイナルスコア14-20。2007年に続いて2年連続で敗れた。
勝ったパナソニック電工は、その後の試合も制し、2年連続で社会人王者となった。願わくば、社会人代表としてライスボウルも制してほしかったが、立命館大学に敗退。残念な幕切れとなった。
突き抜けたチームを目指してきたものの、チーム強化の仕組み自体を見直す2008年シーズンとなった。
2007年 X-EAST 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
2007年は、7月に第三回ワールドカップが川崎市で開催されたメモリアルイヤーとなった。日本代表には、大橋 誠ヘッドコーチ、松場俊夫守備コーチ、大村和輝攻撃コーチ、吉永孝徳 トレーナー、佐々木陽一マネジャーを始め、チームとしては最多・10人の選手が選抜され、 一回戦のフランス戦、二回戦のスウェーデン戦、そして決勝のアメリカ戦と、獅子奮迅の 活躍を見せた。決勝は、先制したものの終了間際に追いつかれ、タイブレークで敗れる という惜敗であったが、ひたむきなプレーをみせた日本チームに、等々力球技場1万人の 観衆の拍手が鳴り止まなかった。
そして2ヵ月後の9月からのリーグ戦、4度目の日本一奪取に向けた闘いが始まった。 初戦は、ルネサスハリケーンズに快勝したが、続く富士通フロンティアーズ戦に完敗を喫し、 チームに緊張感が漲る。しかし選手たちが奮起、第三戦から、一試合ごとにチームが成長し、 本来の輝きを取り戻していった。ファイナル6(決勝トーナメント)進出は、アサヒビール、富士通、オービックの 三つ巴にもつれ込み、得失点差での勝負となった。オービックは最終戦で、強豪アサヒビールに 11点差以上で勝つしかないという状況の中、歴史的な大勝(55-6)を飾り、まさに“グレートカムバックⅡ”の第一歩となった。
準々決勝、鹿島ディアーズとの闘いも凄かった。後半でリードを許すが、 第4Qに追いつき、タイブレークで破るという劇的勝利。この試合のMVPは、同点のリターンタッチダウン を演じた清水 謙選手であった。続く準決勝は、長居球技場で松下電工インパルスと対戦。 第1Qこそ互角であったが、徐々に松下の厚いディフェンスに封じられ、攻撃もラン&パスに ゲインを許して、得点差が広がる。第4Qで23-7となったときには、スタンドも静まり返った。 しかし、そこからオービックのパス攻撃が息を吹き返し、2つのタッチダウンのうえ連続し て2点コンバージョンを成功させ、23-23の同点に追いつく。鹿島戦の再来か?! しかし、 タイブレークで力尽き、最後はインターセプトされて2007年のシーズンは終了した。
2007年は、リーグ戦最終戦、鹿島戦、松下戦と、チームが一丸となって脅威の集中力を 発揮した、“凄い”シーズンであった。しかし、集中力だけでは勝てない。 「どこが勝ってもおかしくない状況から頭一つ抜け出すために、何をやっていくのか‐」 次の10年に向けての闘いがスタートした。
2006年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
前年度の余韻を残してスタート。前年に続いて世代交代が進む中、「MAX」をスローガンにライスボウル二連覇に挑む。
一方で、ライバルチームも急成長。春のパールボウルでは、15分クオーター制が導入された準決勝で、オンワードスカイラークスと大接戦の末、終了間際に逆転されて惜敗。パールボウルを制したのは、若手が成長した富士通フロンティアーズ。圧倒的なスピードと運動量を前に、各チームに緊張感がみなぎった。
7月、習志野グラウンドに最新の人工芝が敷設され、練習も一気に加速度を増した。
秋のリーグ戦は、立ち上がりから順調な試合を続け、4試合目の10月16日、富士通フロンティアーズと対戦し、大勝を納める。これによって、10回目のファイナル6進出を決める。ところが、その後のアサヒビールシルバースター戦。初対戦で敗退して以来、引き分け2つをはさんで負けたことがなかった同チームに思わぬ苦戦、僅差で敗れた。
ファイナル6準々決勝では、新進気鋭の内外電機マーヴィーズを記録的な大差で退け、準決勝でオンワードスカイラークスと対戦。前半リードしたが、後半追撃され、逆転負けを喫してシーズンを終了。
チアリーダーはチームワーク賞を獲得。ジュニアシーガルズは、2年連続で日本選手権に出場したが、惜しくも敗れた。

↑ページトップに戻る

オービックシーガルズ誕生! 三度目の日本一 【 オービックシーガルズ 2003~2005年 】

2005年 X-EAST 1位(5勝0敗)  社会人選手権優勝  ライスボウル優勝  スコア
オービックシーガルズとして3年目、正に真価・進化が問われるシーズン。
春先から攻撃の司令塔QBを龍村 学選手に任せて新生オービックシーガルズがスタート。パールボウルトーナメントは辛勝が続き、苦戦を強いられたが、試合を重ねるごとにチームが成長、パールボウル決勝では、アサヒビールシルバースターを27-2で破る。
秋のリーグ戦もそのままチーム力は上昇し、前年度に苦杯をなめたオンワードスカイラークスを21-0で完封。堂々の1位シードでファイナル6に進む。
準決勝は横浜スタジアムでアサヒビールシルバースターを13-7で破り、ついに3年ぶりの社会人選手権(JAPAN X BOWL)へ。昨年よりさらにパワーアップした松下電工インパルスと対戦。前半戦で0-16と突き放されるが、後半、歴史に残る逆転劇を演じ、ファイナルスコアは25-16。社会人で4度目の王座を奪取した。
続くライスボウル(日本選手権)は、甲子園ボウルで立命館大学を破った法政大学と対戦。攻守が爆発し、47-17で3度目の日本一を達成。パーフェクトシーズンが完了した。
チアリーダーがチアオブザイヤーに輝いたこと、ジュニアシーガルズも日本一となったことも含めると、5冠の2005年となった。また、龍村選手を始め、ディフェンスの中井勇介選手、紀平充則選手、XリーグMVPとなったケヴィン・ジャクソン選手など、新勢力が台頭したシーズンでもあった。
2004年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
2004年1月3日、ライスボウルで立命館大学がオンワードスカイラークスを撃破し二連覇! 社会人チーム全体としても雪辱に燃えるシーズンとなった。
春は、久々の遠征試合を実施。立命館大学琵琶湖草津キャンパスにて交流戦を行った。
秋の本番は、リーグ戦初戦で、追いすがる富士通フロンティアーズを突き放して全勝を続けたが、最終戦でオンワードスカイラークスに逆転負け。ファイナル6はディビジョン2位ランクでのスタートとなった。
準々決勝の相手は鹿島ディアーズ。苦手意識もあったが、守備陣の活躍で10-3と辛勝。準決勝の長居球技場で待ち構えていたのは、強力守備を誇る松下電工インパルス。ここでも守備陣が大奮闘するが、オフェンスが押さえ込まれ、7-10とJAPAN X BOWL(JXB)まであと一歩でシーズンが終了した。
JXBを制した松下電工が、続くライスボウルで立命館大学に快勝したことも付け加えておきたい。
2003年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  Final6 準々決勝敗退  スコア
メインスポンサーが株式会社オービックに決まり、チーム名もオービックシーガルズに。
春のパールボウルトーナメントは、決勝に進出するも、富士通フロンティアーズに13-14で惜敗。
夏には第二回ワールドカップがドイツで開催された。シーガルズからは7人の選手に加えて、コーチ、スタッフ3人が選抜され、オールジャパンの二連覇に貢献した。
秋のリーグ戦は、4勝1敗でディビジョン2位。6年連続7回目のファイナル6出場を果たすも、初戦のアサヒ飲料チャレンジャーズに9-16で敗退。
ジュニアシーガルズは、関東選手権・低学年の部で二連覇を果たす。

↑ページトップに戻る

クラブチームとして独立 【 シーガルズ 2002年 】

2002年 X-CENTRAL 1位(5勝0敗)  社会人選手権優勝  ライスボウル準優勝  スコア
若手QBが着実に成長し、春のパールボウルトーナメント決勝に駒を進める。鹿島ディアーズとの対戦は、試合終了間際に追いつかれてタイブレイクとなり、1点差で破れる。
6月30日をもって、リクルートはメインスポンサーを降板。7月1日から新体制がスタートした。
ジュニアシーガルズは、春の関東オープンで優勝。
秋のリーグ戦は全勝でディビジョン優勝。シード権を得て、ファイナル6準決勝で三連覇を狙うアサヒ飲料チャレンジャーズと対戦。30-0で完封勝利。東京スーパーボウルでは、富士通フロンティアーズを14-7で下し、見事4年ぶり3回目の社会人日本一に。

↑ページトップに戻る

第一期黄金時代 【 リクルートシーガルズ 1996~2001年 】

2001年 X-CENTRAL 1位(5勝0敗)  Final6 ベスト4  スコア
姉妹チームに女性アメリカンフットボールチーム 「レディコング」 が加わる。
シーガルズはリーグ戦を辛勝で優勝、3年連続でファイナル6に進出。準々決勝で富士通フロンティアーズを破り、準決勝で松下電工インパルスと対戦。激戦の末、タイブレイクで破れ、決勝進出ならず。
2000年 X-CENTRAL 1位(5勝0敗)  Final6 ベスト4  スコア
大橋 誠氏がヘッドコーチ就任。本格的なクラブチームを目指し、「総合フットボールクラブ構想」を打ち立てる。
姉妹チームに 「横浜シーガル」 を迎える。NPOスポーツ・コミュニティ・アンドインテリジェンス機構 (SCIX 理事長 平尾誠二氏) に参加。初のトライアウト(選手選考会)を実施し、多数の新入団選手を獲得する。小中学生フラッグフットボールチーム 「ジュニアシーガルズ」 が活動開始。
記念大会となった第25回パールボウルトーナメント決勝で、宿敵・鹿島ディアーズを破り、同大会2度目の優勝を果たす。
1999年 X-EAST 2位(4勝1敗)  Final6 ベスト4  スコア
4月中旬にクラブチーム化を発表。社外選手を登録する。
6月~7月、イタリア・パレルモで開催された第一回ワールドカップのオールジャパンに7人の選手、大橋 誠コーチ、吉永孝徳トレーナーを派遣し、日本の優勝に貢献する。
レディースフラッグフットボールチーム 「シードッグス」 が活動開始。NGO団体リボンプロジェクトジャパンより感謝状を授与される。
この年、初の連覇を狙ったシーガルズだったが、リーグ戦初戦でオンワードオークスに敗れ、プレーオフに駒を進めるも波に乗れず、準決勝で鹿島ディアーズに敗れ、シーズンを終える。
1998年 X-CENTRAL 2位(4勝1敗)  社会人選手権優勝  ライスボウル優勝  スコア
社会人初の国際試合となった 「ジャパンユーロボウル」 が行われ、オールジャパンにシーガルズから多数の選手を派遣。フィンランドを相手に大勝した。
この年より、シーガルズとフットボールマガジン共催の「Learn a System」を開催。
リーグ戦は、鹿島ディアーズに敗れるも、プレーオフを勝ち上がり、東京スーパーボウルでアサヒビールシルバースターを破り、二度目のXリーグ制覇。ライスボウルでも立命館大学を破り、日本一に。
1997年 X-CENTRAL 3位(3勝2敗)  スコア
春のパールボウルトーナメントで初優勝を果たし、連覇に拍車をかけるが、リーグ戦で2敗を喫し、決勝トーナメントに進めず。
1996年 X-EAST 1位(4勝1敗)   社会人選手権優勝  ライスボウル優勝  スコア
池之上貴裕選手がワールドリーグ(現NFLヨーロッパ)へ参戦、日本人初のプロフットボール選手に。
社会人リーグはXリーグと名称を変える。シーガルズは、リーグ戦で優勝、東京スーパーボウルにも勝利し、初代Xリーグチャンピオンになる。
さらに、ライスボウルで京都大学を破り、初の日本一を達成する。

↑ページトップに戻る

成長期 【 リクルートシーガルズ 1990~1995年 】

1995年 東日本社会人1部A 1位(5勝0敗)  Final‐EAST勝利  社会人選手権準優勝  スコア
東日本社会人1部リーグで念願の初優勝を果たす。東京スーパーボウルでは松下電工インパルスに敗れ、社会人選手権準優勝に終わる。
しかし、リーグ戦でなかなか優勝できなかった時期を抜け、 「日本一がすべてだ」 と選手全員が思うようになる。この年から毎年チームスローガンを掲げるようになり、ミーティングルームに貼り出したりTシャツにするなど、チームに浸透させた。グラウンドのトレーニングルームも拡張された。
1994年 東日本社会人1部A 2位(4勝1敗)  スコア
スカウティング専属スタッフを設置。秋には専用グランドが天然芝になる。
リーグ戦では2位と躍進。前年に続いて鹿島建設ディアーズとの接戦で破れ、優勝ならず。“涙の川崎球場” としてチーム史に語り継がれる。
シーガルズとフットボールマガジン共催のフットボールクリニックとして 「Learn a Tech」 を初開催。大学生向けにフットボールのテクニックと心を伝えていくことを開始する。
1993年 東日本社会人1部B 3位(3勝2敗)  スコア
監督であった大社 充氏(京都大学を初の日本一に導いたQB)からディビット・スタント氏がヘッドコーチに就任し、コーチング体制が激変する。前年に引き続き、後の主力選手となる大量の新人(池之上貴裕、遠藤紀彦、小山朋行など)が入団。オフェンスコーディネーターにマイケル・レナード氏を招聘。トレーナーにはNATA取得の吉永孝徳氏を迎える。
1992年 東日本社会人1部A 2位(3勝1敗1分)  スコア
後の主力選手となる大量の新人(松本義幸、中野康隆、安部奈知など)が入団。リーグ戦では、強豪のレナウンローバーズを初めて破り、2位と躍進するが、初優勝のかかった最終戦では、得失点差を意識しすぎて、新進の鹿島ディアーズに敗れる。
1991年 東日本社会人1部A 5位(1勝3敗1分)  スコア
1部リーグ2年目。強豪・アサヒビールシルバースターとの試合では、試合終了1秒前にQB柳 秀雄選手からTE鈴木 聡選手への劇的なタッチダウンパスが決まり、その後のトライ・フォー・ポイントも決まって奇跡的な同点劇を演じる。その後、アサヒビールシルバースターには、2006年のリーグ戦まで引き分けをはさんで負けることがなかったが、好敵手として激闘の歴史が、ここに始まった。
1990年 東日本社会人1部B 5位(1勝3敗1分)  スコア
1部リーグデビュー。当初、助っ人外人選手として予定されていたディビット・スタント氏を、コーチとして迎える。コーチ陣と選手の代表がNFLシアトルシーホークスのサマーキャンプに参加。

↑ページトップに戻る

協会に加盟 【 リクルートシーガルズ 1988~1989年 】

1989年 実業団カンファレンス2部B 2位(3勝1敗)  一部昇格戦 勝利  スコア
千葉市美浜区に、リクルートのグラウンドが完成。ヘッドコーチに大社 充氏が就任。
社会人協会加盟2年目にして、実業団カンファレンス2部Bブロック準優勝。優勝は逃すも、1部リーグのチーム数増に伴い1部昇格決定戦が行われ、ハスキーズと対戦。勝利して、念願の1部リーグ入りを果たす。
1988年 実業団カンファレンス2部B 1位(5勝0敗)  2部BCブロック決勝戦 勝利  スコア
1月の取締役会で企業スポーツとしてフットボールチームを創部することが決定された。取締役である田畑千秋氏、神山陽子氏が顧問に就任。ヘッドコーチには中田英一氏が就任。当初の目標を 「2年後、1部リーグ入り」 とし、日本社会人アメリカンフットボール協会に加盟。 「一流の社会人であり、一流のフットボーラーを目指す」 ことをチーム理念とし、本格的に実業団スポーツとして活動を開始する。
実業団カンファレンス2部Bブロック優勝。BCブロック決勝戦で清水建設ブルーサンダースに勝利したが、入れ替え戦はなかった。
まだ専用グラウンドはなく、練習ごとに各地を転々としていた。

↑ページトップに戻る

草創期 【 リクルートシーガルズ 1983~1987年 】

1987年  パレスサイドリーグ 優勝  
パレスサイドリーグ決勝で電通キャタピラーズ(現X2に所属)を破り、初優勝を果たす。次の目標を 「実業団カンファレンス加盟」 とする。
稲葉泰成氏、並河 研氏、三原 徹氏が社内に企業スポーツの重要性を提言し、会社の理解とバックアップを得るために働きかける。
1986年 パレスサイドリーグ 準優勝  
決勝で三菱電機ソシオテックス(現 オール三菱ライオンズ)に敗れる。
1985年 パレスサイドリーグ 準優勝
決勝で電通キャタピラーズに敗れる。
1984年 パレスサイドリーグ 0勝  
リクルートの全社スポーツ大会で初の試合 (明治大学の同好会を招待) を行い、社内にシーガルズを初披露。
秋、実業団リーグ加盟のための登竜門的存在であった 「パレスサイドリーグ」 に加盟。パレスサイドリーグの雄、電通キャタピラーズ打倒が、当時の夢であった。
1983年 公式戦参加せず  
リクルートの社員(中谷秀之氏、稲葉泰成氏、菅野 徳氏ら)が中心となり、社内フットボール経験者数名に社外選手を含めた10人程度で、同好会結成に動き出す。しかし、試合はできず、基礎トレーニング中心の練習だけだった。この年、名称を「リクルートシーガルズ」とした。

↑ページトップに戻る