GULLS-NETWORK 「絆」

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2011年12月09日

OBからファンのみなさまへ(10)川口桂蔵さん

絆! 今回は、アシスタントトレーナー、通称「ケイゾウ」として大活躍してくださった川口桂蔵さんをご紹介します。


オービックシーガルズでは、1994年頃から「アシスタントトレーナー制度」を導入してきました。これは、現在のHAT(ヘッド・アスレティック・トレーナー)である吉永トレーナーが提案し構築してくれた制度で、発祥はスポーツの本場アメリカです。アメリカでは、アスレティックトレーナーに資格制度があって、その資格を取得するためには、たとえばアメリカンフットボールチームにトレーナー見習いとして1,000時間帯同するとか、バスケットボールチームに500時間行くとか、そうのような規定があります。座学だけではなく、実際にチームと行動をともにして、現場で役に立つ知恵や技術を学ぼうとする、いかにもアメリカらしいシステムなのですが、それを日本のトップ競技でもやってみてはどうか、というのが主旨でした。とはいえ、その頃はまだまだ、大学や専門学校でトレーナーを目指している「卵」たちを受け入れてくれるチームは少なく、吉永トレーナーが懸命に受け入れ先を開拓されていました。

 

その受け入れ先のひとつが、オービックシーガルズ(当時リクルートシーガルズ)だったというわけです。オービックシーガルズには、1年から2年の間、チームと行動をともにしてトレーナーをやってくれている、いわゆる「実習生」がいらっしゃいます。いつの間にか、17年以上続いてきた仕組みで、なかには実習期間が終わったあともボランティアトレーナーとして残ってくれる方や、合宿やビッグゲーム、あるいはフラッグフットボール教室、チアなどでトレーナーの人数が必要なときに助けてくれる方など、随分多くのトレーナーの方々がオービックシーガルズを支えてくださっています。たとえば、今回のJAPAN X BOWLのような大きな試合になると、トレーナーも気合いが入ってきます。いつの間にか、クラブハウスに「富士通戦まであとXX日」というような貼り紙がされたり、トレーニングルームに「正しい腹筋の方法」が写真入りで貼り出されたりと、実に頼もしい存在です。

 

さて、 ob201112091.JPG 川口桂蔵さんとチームの出合いは、当時、川口さんがアルバイトをしていた焼肉屋さんが選手の実家だったという、まさに「ひょんなこと」からでした。しかも、グラウンドに行かせてくれ!という川口さんのたっての願いから、チームに帯同していただくことになったのでした。ご本人は、仕事をしながら、しかも度重なる怪我にも負けず、勝利にアメフトに執念を燃やす選手たちの「本気」に触れたことで、この道で生きていく決意をしたとおっしゃっていますが、長らく在籍していただき、アシスタントトレーナーの兄貴分として、トレーナーの皆さんを選手以上に「熱い集団」として引っ張ってくれたことは、本当に心強く、ありがたかったです。


チームを卒業された今もなお、練習場で「ケイゾウ」の姿を探してしまう私であります。今は、ケイゾウさんが志を立てた理学療法士として「熱い」活動をされていることと思います。VIBA KEIZO! それでは、ケイゾウさん、どうぞ!

(GM 並河)


■-- 

 

   オービックシーガルズのファンの皆様

 

   いつも豪快なクラウドノイズをありがとうございます。

 

   シーガルズは現在に至るまで、多くの困難を克服してきたチームです。
   メインスポンサーの撤退、グランドの移転、そして今春の震災によるグランドの壊滅。
   他のチームの多くが、チーム力の低下または合併や解散に追い込まれてしまったような

   困難な状況を、このチームはいくつも乗り越えてきました。

 

   数々の困難に直面したときにも、少しもブレることなくシーガルズが「シーガルズ」で

   いられるのは、ファンの皆さんを含め、チームに関わるすべての人間の想いが熱く、

   濃く、強いものだからです。

 

   そんな想いの集合体「シーガルズ」は、常に高速で強大な実行力を生み出します。
   「ライスボウル連覇」という大きな壁に立ち向かっている今シーズンのシーガルズ。

   日本のフットボール界を牽引し続けるであろう、これからのシーガルズ。

   ファンの皆様には「暖かく見守る」なんて言わず、当事者としてチームに「参戦」

   し続けていただきたいと思います。

--■

 

 

 
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川口桂蔵(かわぐち・けいぞう)

2001年~2010年年在籍。アシスタントトレーナー。
現在は千葉市内の整形外科クリニックに理学療法士として勤務。
「お年寄りから野球少年まで、たくさんの方のリハビリのお手伝いをさせていただいています。近い将来に必ずスポーツの現場に戻るため、修行中です」

 

2011年10月26日

OBからファンのみなさま、選手へ(9)大久保勝司さん

絆! 今回は「夢に生きる人」大久保勝司さん(というか、ご一家)を紹介します。

 

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大久保さんは、立教大学からやってきた選手で、入部当時はWR、SB(スロットバック)、そしてパンターと複数のポジションをこなす、ステディな(確実な)プレイヤーでした。

 

当時、「OL」「QB/パンター」にも大久保選手がいて、3人の大久保選手がいました。こういう場合は、新しい人が新大久保と呼ばれたり、他のあだ名で呼ばれたりして、チーム内での混同を避けるもので、大久保勝司さんは「ボク、大久保」と呼ばれていたような……。


また、ご夫人は、当時リクルート総務部内に置かれていたクラブ運営事務局でシーガルズ担当をしていただいていた横溝千賀子さん。当時のヘッドコーチ、デイビッド・スタントさんはじめ、みながかなりお世話になりました。別途、登場していただければ幸いです。  

 

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さて、現役時代のシュアーなチームへの貢献とともに、私が彼のことで印象に残っているのは、彼が「夢に挑戦する人」であることです。

 

小笠原村観光協会で小笠原を少しでもアピールする仕事に就いたり(その結果、世界遺産登録に成功?!)、元々サッカー少年だった頃の夢を追いかけてワールドカップ日本代表の応援に現地まで出かけたり、その流れで世界旅行したり……(→家族で行く世界旅行.com)。今はなんと、世界でも最も有名なサッカースクール「クーバー・コーチング・サッカースクール」のコーチとしてオーストラリアで教えています(確か、同じ仕事で中国にも滞在したことがあったと記憶しています)。

 

そして、彼が一番偉いなぁと思うところは、この「夢」にきちんと一家(奥さん、子どもさんたち)を巻き込んでいることです。これは、本当に素敵なことです。彼の消息を聞くたびに、おぉ今度はオーストラリアか……と、こちらまで楽しくなってしまいます。これからも大久保一家の動向から目が離せませんね。それでは大久保さん、どうぞ! 

 

(GM 並河)

 


 

  ■ オービックシーガルズファンの皆様、いつも応援ありがとうございます。

 

  シーガルズ現役時代は、"不人気チーム"の一員として頑張っていました(笑)!
  我々不人気チームがナチ(安部奈知)さん、河本(晃)さんといった人気選手と

  肩を並べてプレーできたのも、ファンの皆様がシーガルズというチームを

  応援してくれているおかげだと思います。

 

  アメフトは、QBやRB、レシーバーなどのポジションが目立ちますが、 OL、SBなどの

  ブロックも欠かせません。全員の力が合わさって初めて前に進めます。


  シーガルズの特長は、「楽しみながら、一生懸命、最後まで」プレーすることだと思います。

  笛が鳴るまでやり切る。「Finish It!」。

  選手には、自分だけでなく、みんなの思いを受け止めてプレーしてほしいです。

  これは才能ではなく、誰でもやろうと思えばできることです。
  デイビットに刷り込まれましたが、本当に大事なことだと思います。

  現役時代は相手の選手にもよく嫌がられました。「笛、鳴っているよ」と。

  でも、それがシーガルズの土台だと私は信じています。

 

  もちろん、ファンのみなさんの声もそのひとつです! 

  シーガルズの応援は常に日本一だと感じています。

  これからもよろしくお願いします。 

 

 

 
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大久保勝司(おおくぼ・かつじ)

1993年~2001年在籍。ポジションは、P/K、WR、SB。
クーバー・コーチング・サッカースクール勤務。
「シーガルズを辞めた後、小笠原村観光協会に4年勤め、その後、サッカーワールドカップ観戦をきっかけに家族で世界旅行へ。そして、『ワールドカップ決勝の場に日本代表が出場してほしい』と思い、サッカー指導者への道を選びました。この12月で41歳になりますが、今は会社が研修に出してくれたオーストラリアで、英語を勉強しながら子どもたちにサッカーを教えています」

 

2011年10月15日

OGからファンのみなさまへ(8)桑畑美紀さん


「オービックシーガルズとは、チームに参加している人たちの熱い想いの総体である」

 

かつて、大橋ヘッドコーチがコメントしていましたが、その言葉どおり、選手やコーチだけでなく、トレーナー、スタッフ、チア……みんながそれぞれ主役となって、「このチームで自分は何をやりたいのか、何をするのか」に挑戦しています。

 

今回は、1997年、アシスタントトレーナーに志願して入部してきてくれた桑畑美紀さんを紹介します。彼女の経歴を読んでもらえれば、またひとつ、私たちの「絆」がお分かりになるかと思います。

 

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●高校2年生。漠然と「スポーツトレーナー」を志願。トレーナーだけではなくスポーツ界全体への興味から、順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツマネジメント学科へ進学。

●大学3年生春。『トレーニングジャーナル』誌で、初めて日本一となったシーガルズを支えるアシスタントトレーナー特集を読み、「これだ!」と直感で察知。事務局へ電話し、晴れてシーガルズの一員に。

●就職。仕事もフットボールも100パーセントでこなす選手たちを見て、自分もそうなりたいと、株式会社リクルートを志望。運よく採用され、平日は数字に追われる営業ウーマン、週末は本気で日本一を目指すチームの一員として、休みのない日々を過ごす。

●その後。クラブチーム化での広報、マーケティングの経験に自らのキャリアを見出し、本格的なスポーツビジネスの場を探すためにリクルートを退社し、Jリーグ「ヴィッセル神戸」へ。
+-+-+-+-+-+

 

とはいえ、時間があったら、こよなくゴルフを愛する焼肉大好き人間でもあります。では、桑畑さんどうぞ!

 

(GM 並河)

 

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▲後列右から2番目が桑畑さん

 


■-- 

 

   ファンの皆さん、いつもオービックシーガルズへのご声援ありがとうございます。

 

   シーガルズでは、トレーナーとしての知識はもちろん、人とのつながり、

   何事にも本気になることなど、人間面での成長もさせていただきました。

   今の自分があるのは、シーガルズがあったからと言っても過言ではないくらい、
   自分の人生に大きな影響を与えた時間でした。

 

   本気で日本一を目指し、あらゆることに本気で取り組む集団。
   強すぎて、相手チームからうざがられる。
   それがシーガルズです。
   強くないとシーガルズではありません。
   強すぎるがゆえに、スタンドで観戦されている皆さんは、
   たまにつまらなく感じることがあるかもしれません。
   でも、それがシーガルズです。

 

   今シーズンも、ライスボウルで皆さんと一緒に、
   日本一になるシーガルズを見届けたいと思います。
   スタンドからも、相手チームからうざがられるほどの
   「クラウドノイズ」で選手たちを鼓舞しましょう。 

--■

 

 

 
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桑畑美紀(くわばた・みき)

1997年~2002年在籍。アシスタントトレーナー。
現在は、Jリーグ「ヴィッセル神戸」広報担当。
「シーガルズで学んだ現場でのバランスの取り方などを活かし、チームとメディアをつなぐ役割を担っています」

 

2011年10月07日

OBからファンのみなさまへ(7)萬川 裕さん

7番目は、萬川 裕さん。

 

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(わりと苦労した時代の)立命館大学出身で、オフェンスライン。タックルが主なポジションで、背番号は71番。なぜか、奥様が非常に優しい人だという記憶があります……。

 

彼は強かったというよりも、技巧派……というよりも、何とか帳尻を合わせて、スターターとして活躍(?)していた選手かな。つまりは、ミスの少ない、信頼のおけるプレイヤーであったのだと思います。 

 


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現役時代から「社長」と呼ばれるような、人格者っぽい風貌で、実際にその風貌
に合わせて、チームのメンバーのいろいろなことに、今でも世話を焼いてくれています。


チームのOB会は、実はまだ正式にスタートしていませんが、いつの間にか「OB会長」と呼ばれている存在。再来年に創部30周年を迎えるこれからこそ、萬川会長にいろいろとお願いしたいところです。

 

(GM 並河)

 


 

■-- 

 

   オービックシーガルズファンの皆様、いつも熱いご声援をいただき誠にありがとうございます。


   初優勝時代のマカレナダンス、昨シーズンのクラウドノイズなど、いつもファンと選手の

   一体感のある斬新な応援に、数々の勇気と希望をいただいてきました。
   ライバルチームからも、「シーガルズは選手だけでなく観客も試合相手だ!」とも
   よく言われています。

 

   そんなシーガルズファンは我々の宝物です。
   どうぞこれからも熱いご声援をよろしくお願い申し上げます。 

--■

 

 

 
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萬川 裕 (まんかわ・ゆたか)

 

1993年~1998年在籍。ポジションはオフェンスライン。

外資系生命保険会社勤務。
「ライフプランナーとして、生命保険から資産運用までトータルなライフプランニングを行っています。上の現役時代の写真、このあとWR河本さんとぶつかってこけました。でもTDになりました……よかった、よかった!」

 

2011年10月04日

OBからファンのみなさまへ(6)代田昭久さん

6番目は、代田昭久さん。

 

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慶應義塾大学の同好会ダックスから参加してくれた彼。背番号は30番でした。ランニングバックとして頑張ってくれました。

 

でも、それよりも、もっともっとチームに大きな貢献を与えてくれたのは、「ミスターセニョール」という通称で、チームの応援チラシに原稿を書いてくれたり、チアとコラボでの応援パフォーマンスをしてくれたり。マカレナダンスやYMCA、今ではお蔵入りになってしまったビッグフラッグなど、「チームを応援することを精いっぱい楽しむ」という、オービックシーガルズのもう一つのDNAづくりに大きな役割を果たしてくれたこと。

 


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今でもスタンドに流れる「タッチダウン!」という声は、代田君の声だと思います。

 

アメフトを愛し、スポーツを愛し、人を応援することを愛した代田君は、現在杉並区和田中学の校長先生。いつの間にか、ものすごく立派な方になってしまわれました……。

 

(GM 並河)

 


 

■-- 

 

     ここ数年、なかなか試合会場に足を運べないでいますが、
     今年は、ぜひ連覇の目撃をしたいと思っています。

     心はいつもオービックシーガルズ愛で満ちています。 

 

--■

 

 

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▲和田中パンフレットより
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代田昭久 (しろた・あきひさ)

 

1990年~1994年在籍。ポジションはランニングバック、スロットバック。

杉並区立和田中学校校長。
「全校朝礼などで生徒にシーガルズ時代の話をすることがあります。シーガルズから学んだことの多さと大きさを、改めて実感しています。和田中を卒業後に高校のアメフト部に入る生徒も毎年いて、ささやかですが、アメフトの普及に貢献させていただいています」

 

2011年10月03日

OBからファンのみなさまへ(5)小山朋行さん

5番目は、小山朋行さん。

 

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小山選手は、オフェンスラインのガード、センターで活躍。おそらく、オービックシーガルズ史上、最強のガードの一人でしょう。

 

高校野球で甲子園、日本大学時代にはアメフトで甲子園に出場した、屈指のアスリートです。


 

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自分の前のディフェンスラインにあたった後に、その後ろにいるラインバッカーやディフェンダーを仕留めに行くブロックの速さ、鋭さ。QB松本義幸選手や新生剛士選手を守ったパスプロテクションのフットワーク……、いまだに目に焼き付いています。

 

一方で、素顔は優しい。“気は優しくて力持ち”を絵に描いたような、大きな人でした。

 

現在は、日大で後進の育成に力を注いでくれています。

 

(GM 並河)

 


 

■-- 

 

いつもオービックシーガルズを応援していただきましてありがとうございます。


今年のライスボウルにおいて、たくさんのファンの方々の熱い声援を聞き、

初の日本一となった1996シーズンのライスボウルを思い出しました。


対京都大学戦です。

初出場で緊張する中、大きな声援がフィールドの私たちを励まし、

スタンドと一緒に戦っていたことを思い出しました。


あの時も、いまも、

シーガルズは12人で戦っているんだなーとつくづく感じました。

ありがとうございます。


これからも、末永く応援お願いします。  

 

--■

 

 

 
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小山朋行 (こやま・ともゆき)

 

1993年~2001年在籍。ポジションはオフェンスライン(センター、ガード兼務)。
「リクルートを退職後、MR(医薬情報担当)専門の人材派遣会社で人事採用をしております。休日は母校・日本大学フェニックスでコーチとして後輩を指導育成。今季こそはライスボウルでシーガルズと対戦したいですね。(現役時代に一生分走ったと思っておりましたが、あの追い込む感覚が忘れられず、マラソンを始めました)」

 

2011年09月29日

OBからファンのみなさまへ(4)河本 晃さん

4番目は、河本 晃さん。

 

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リクルート時代、無名だけど「熱かった」チームをどんどん押し上げてくれた選手。河本くん自身も、大阪市立大学からの入部ということで、オービックシーガルズ(当時リクルートシーガルズ)は、熱い男が育つチームという流れを創った一人です。


 

ob_kawamoto3.jpg とにかく、「ここ!」というときに、河本くんの腕がズン!と伸びて、QBの松本義幸選手や、新生剛士選手、高橋大介選手からのパスを受け取り、ずんずん、ずんずん進む。1996年12月の準決勝、松下電工戦でのサイドスクリーンでの活躍、ライスボウルでの活躍。

 

最近、その風情が誰かに似ているなぁと思ったら、昨年のNHK大河ドラマの福山龍馬か……。今では、息子さんが日大櫻丘高校で父の意志を継いでいます。

 

(GM 並河)

 


 

■-- 

 

いつもオービックシーガルズを応援いただきありがとうございます!


シーガルズOBは日本各地、また世界で活躍されていて、スタジアムでみなさんとともに参戦できないことを残念に思っている方も多いのですが、私は現在東京在住ですので、ファンのみなさんと一緒にスタジアムで参戦します!


試合のたびに強くなっていくチームが日本一のチームです。ファンのみなさんと選手とが一体となって、試合ごとに集中力を高めていきましょう! ファンのみなさんの想いはフィールドにいるプレー中の選手に確実に伝わっています。  

 

--■

 

 

 
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河本 晃 (かわもと・あきら)

 

1991年~2000年在籍。ポジションはWR。
株式会社リクルート キーマンズネット推進室営業グループ ゼネラルマネジャー。
「『ピンチはチャンス!』、『常に道半ば』、『本気の熱が伝染する』など、シーガルズでの経験は、仕事での土台となっています」

 

2011年09月20日

OBからファンのみなさまへ(3)鈴木 仁さん

3番目は、鈴木 仁(ひとし)さん。

 

ob_suzuki2.jpg 近畿大学出身ですが、大学を選ぶときに、関西学院大学を倒すために近畿大学を選んだという、志の高い人。ディフェンスバックの要であるセーフティとして、そして、シーガルズ5代目の主将として、1部リーグに入って苦戦を続けていた頃のチームを引っ張ってくれました。

 

1993年春の試合で不振が続き、ついにヘッドコーチ交替……という事態に陥り人心が大いに揺れたときに、敢えて主将を買って出てくれた「漢気(おとこぎ)」は、今でも忘れられません。ランニングプレーへの早い上がりで鋭いタックルを連発する姿を合わせて、「後姿」で主将というものを語ってくれた存在です。

 

現役引退後は、母校の附属高校のアメリカンフットボール部のヘッドコーチなどを経て、現在は大学と高校両方の監督として、頑張っています。

 

93年夏、デイビッドと3人で早朝の海辺でBBQをやったことは今でも覚えています。

(GM 並河)

 


 

■-- 「12人目のスタンドの戦士」、ガルズファンのみなんへ


毎試合、熱いご声援をいただきありがとうございます。

 

私は今年から母校・近畿大学の監督に就任し、一からのチーム作りに奮闘しております。シーガルズを引退してから15年経ちますが、シーガルズでの経験がこのチャレンジに導いてくれたと感じています。オービックシーガルズとの対戦を夢見て、選手のプレーする姿を通じて「魂」を宿せるゲームができるよう頑張ります!

 

今年は、昨年のオービックシーガルズの日本一への原動力となったファンのみなさんが、さらにパワーアップした姿を直に見たいと思っています。当然、その場は、1月3日のライスボウルと考えていますので、それまで、昨年以上の熱い声援を送り続けてください!!  --■

 

 

 
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鈴木 仁(すずき・ひとし)

 

1990年~1996年在籍。ポジションはDB、第5代目主将。
近畿大学職員/キャリアセンター所属/課長代理/近畿大学体育会アメリカンフットボール部監督 兼近畿大学附属高等学校アメリカンフットボール部監督

 

※鈴木さんが監督を務める近畿大学、附属高校の両アメリカンフットボール部から、3月以降、部内で集めた義援金を「Gulls for Tohoku義援金」に毎月ご寄託いただいています。鈴木さん、両部のみなさん、ありがとうございます。

 

 

2011年09月12日

OBからファンのみなさまへ(2)金 鋭さん

2番目は、金 鋭(きん・えい)さん。

 

ob_kin2.jpg 甲南大学出身で、大学時代は「走れるQB」として関西学生リーグで大活躍。リクルートシーガルズ時代に入部したのちはランニングバック専任に。1部に昇格したばかりのチームでオフェンスラインが充実しきれていない中、相手ディフェンダーを何人も引きずりながら倒れないで走り続けた魂の走りは、今も私の眼に焼きついています。


現役終盤は怪我に泣かされていましたが、じっとリハビリしながら練習していました。最後の試合は富士通戦だったか、当時のヘッドコーチ・デイビッドとの約束である100ヤードを走ったのはすごかったですね。

 

その後、金さんは戦いのフィールドを中国での人材関連ビジネスに移し、ここでも孤軍奮闘の頑張りで今のビジネスを築き上げました。いまだに「金が日本に来る!」と聞くとOBの皆が集まり、「いや、上海で金を中心にハドルだ!」と“上海ハドル”も実施されるほど、みんなの宝物のような人です。 

(GM 並河)

 


 

■--いつもオービックシーガルズを応援してくださり、ありがとうございます。


選手にとってはファンの声援、激励は一番の力になります。


苦しいとき、つらいときに誰かに見られている、誰かが応援してくれているという気持ちが、

ここ一番での踏ん張りにつながります。


サポーターあってのシーガルズです。


これからも熱い応援よろしくお願いいたします。 --■

 

 

 
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金 鋭(きん・えい)

 

1989~1994年在籍。ポジションはRB。
「中国でHR(人材紹介・教育研修・コンサルティング)の会社で総経理(社長)をしています。中国におけるHRのNO.1パートナーになれるよう全力でがんばっています。私の中では、アメリカンフットボールの経験は人生における根底を形作っています。『志』を一番大事にするシーガルズでの経験は、今のビジネスや生き方、考え方に大きく影響しています」

 

 

2011年09月05日

OBからファンのみなさまへ(1)三原 徹さん

まず最初は、秋季リーグ戦に向けてしばらくの間、創部時代の何もなかった頃からチームを支えてがんばってくれた選手のなかから何人かの方々に登場していただきます。


トップバッターは、並河が敬愛してやまない三原 徹さんです。

 

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三原さんは、リクルートの内定者時代からチームに関わり、同好会時代から辛抱強くチームの強化に関わってくれ、その後の実業団入りから1996年シーズンのライスボウル初制覇まで、文字通りチームの育ての親となった方です。今のチームカラー「ネイビー・ゴールド・アクアグリーン・ホワイト」を考えてくれたのも彼です。

(GM 並河)

 


 

■--ファンのみなさん、オービックシーガルズを応援してくださってありがとうございます。


引退して約14年経ちましたが、今でも時々シーガルズでプレーする夢を見ます。

 

革新、遂行、闘争を、笑顔で楽しみながら全力で実現していることが、シーガルズの魅力だと考えています。

 

2011シーズン、シーガルズのシーガルズらしさを、観客席でみなさんと一緒にEnjoyできたらと思います。

 

是非、一緒にシーガルズを楽しみましょう。 --■

 

 

 
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三原 徹(みはら・とおる)

 

1987~1997年在籍。ポジションはQB/WR。
Athletes Dream Management, Inc.代表取締役。スポーツビジネスに関するコンサルティングと、MLB選手会公認代理人として日本人メジャーリーガーの代理人業を行うスポーツマネジメントの会社をアメリカで経営している。